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説明とプレゼンの違い

このペンケースを売り込む。
「説明」
優れた材質、高強度と柔軟性を両立した形状、人間工学に基づいた設計・・・特長、ウリ、などなど。
「プレゼン」
ゾウが踏んでも壊れない。
ときどき見直してみると原点に戻れるかも。

上手なプレゼンのコツというテクニック

本屋さんに行くと「プレゼンのコツ」とか「できるプレゼン」とか「上手いプレゼン」とかいった書籍をちょくちょく見かける。当然ながら、パラパラと立ち読みする。
チャート図の記号やレイアウトが工夫されているのは、わかるし参考にもなる。
でも、残念ながら未だコレは!というものにめぐり合えていない。読み物としては面白いが、実戦むきに作られてはいないのかもしれない。
理由は、テクニック論ばかりで、基礎体力が不足しているのではないだろうか?
フリーキックだけ上手くても、試合では勝てないのと同じ。
あえて言いかえれば、ヘタクソでもナンでも、良いポジションを確保してゴールに入れたら勝ち!
小ざかしいテクニックなんかよりも、ゴールに押しこむチカラや勢いのほうが実戦に向いている。
ここで言う基礎体力というのは、文筆家のように洗練された文章力というほどのことではなく、一つ一つの言葉を慎重に選び、文体に気をつかうこと。それにはナニより一度、手書きで原稿を作ってからタイプアップすることです。
ハナからタイプアップすると、変換しすぎるために漢字だらけになって読みにくいばかりか、ページ全体が黒ずんだ感じに見えてしまう。
当たり前ながら、文章は文字という記号を使って情報や感情を伝える。
特に日本語はアルファベットなどと違い、一つ一つの文字に意味が宿っているし、同じ意味のことを、言い回しや、漢字、ひらがな、カタカナで書き分けることもできる。
こういった気づかいは、本をたくさん読めばある程度は身につく。
寸暇を惜しんで読むこと、書くこと、だと思う。
とはいえ、あえてテクニックっぽい例をあげると、
文字の多い表現は、理系に向いている。
良く言えば、論理的。
少し違う言い方をすると、理屈っぽい、コダワル。
文字の少ない表現は、文系に向いている。
良く言えば、情緒的。
少し違う言い方をすると、直感的、思いつき。
偏りがある場合は、コレでOK。
対象を理系と文系の両者に行うときには、
全体のフレーム構造を作ってから、文節を短く区分してフレームに配置。
各文節それぞれにタイトル(キャッチコピー)をつける。
偏りがない場合は、コレでOK。
見せ方のテクニックの学習も重要だけど、基礎体力をつけるために、たくさんの本を読んだほうがイイかもしれない。多くの文筆家が文章力のトレーニングのために、過去の有名な著作を丸ごと書写するわけですし。

放射線治療マシン

放射線関連の学会展示で、後発メーカーのPRブースを制作したときのこと。
放射線を使って「触れずに発見~触れずに治療ができるマシン」です。
もちろんマシンごとに様々な仕様や特長があるのですが、よく説明をしないと理解してもらえません。
しかも学会はホテルで開催されているので、大きなマシンの実物を持ち込むなどは不可能です。
ナニより、被爆してしまう!
でも、自社の特長をナンとかPRしないと百戦錬磨の他社ブースを相手に、優位に立つことができません。多くのメーカーは、有名なブランド看板をデーンと掲げ、派手なグラフィックのポスターを貼ったり、説明パネルやパワーポイントでプレゼンします。
でも、学会の休憩時間にそんなマターリしていては通り過ぎられてしまいます。ましてや後発メーカーとなると一瞬で、一発で決めなくてはダメです。
そこでまずは「触れずに発見」をカタチにします。
放射線は、透けて見えるわけですから「全体の壁面を透明アクリルのグラフィックパネル」にしました。
作り方は、透明シートにインクジェット出力して、それを空気を押し出しながら透明アクリルに密着させていって完成。アクリル板は支持ベースに差し込んで自立できるようにする。これなら、病院内の片隅に立てておけるので二次利用OK。
次に「触れずに治療」をカタチにします。
放射線は、触れずにピンポイントで患部を治療できるわけですから「フェンシングの剣で天板に置かれたリンゴを突き刺す半透明アクリルのカウンター」にしました。
作り方は、透明イエローのアクリルでカウンターを作成。左側面の下部から、天板の右上部まで剣先を貫通させ、そこのフェイクのリンゴを突き刺して完成。これも病院の片隅に展示できるので二次利用OK。
ウケました。ちょっとしたタレントなみに集客~名刺交換~アポ予約OK!
伝えたいことをカタチに置き換えただけですが、圧倒的な差をつけられる理由はどこにあるのか?よく、インパクト重視!とか言われることがあります。でも、思いつきのビックリ箱では、商談にまでもってゆくのは至難です。
~「インパクト」という言葉の使い方にズレがある…ように思いますが…。~
これらも恐らく患者さんへのインフォームドコンセントのヒントになったように思います。ちなみに、フェンシングの剣は意外と安くて一万円以下で購入できます。

究極のマッチポンプ

3.11
ある加害者が非道なことをして、Aさん所有の土地を無価値(¥0)にした。
数年後のある日
その加害者からAさんに申し入れがあった。
真面目で人のよさそうな笑顔で優しく
「無価値(¥0)になった土地を元の価格の半額(50%)で買ってあげますよ」と・・・。
お見事!

感想文とあらすじ

二度目のネタですが・・・
ある書評家が、感想文の書き方について話をしていた。
本は全部読んでも、タイトルだけ読んでも、最初の一行だけ読んでも、あとがきだけ読んでも、
自分の好き勝手に読んで感想文を書けばイイんです。
つまり「時計」というタイトルの本の“時計”という文字から感じ取ったナニかを感想として書けばOK!ということです。
本を読んでナニを感じるかは、読んだ人の自由なのだ。
本を読む行為も、どこをどれだけ読もうと自由なのだ。
それが“感想”なのだ。
なるほど~確かに。
あらすじを書いて、感想文っぽく装うのはイタダケナイ。
どこかの会議室でお誕生日席に座っている人にそっと耳打ちしてみたーい。
それって「感想じゃなくて、あらすじ」ですよね・・・。
叩き出されるな、きっと。

ハイエンドA案

広告屋さんがプランを考えるとき、手持ちのリソースを組み合わせて作り上げてゆく。
ま、一部は補完しながら。利幅や融通などの都合も考えつつ。
俳優のように、さも自信満々にA案としてプレゼンする。
「それ、手前味噌で作ったB案かC案ですよね…A案はどちらに?」
そう会議の席で指摘すると、思いっきりイヤな顔をされる。
A案というのは、理想的なベストプラン。
ハイエンドこそがA案。
できるか否かなんて関係ない。
目指すべきところがハッキリしてこそ、副案が作れる。
実現性の低いプランは時間のムダ!と一蹴されることもある。
でも、実現性が低いからこそ斬新で稀少なプランなんじゃないか?
一蹴すると一見、大人っぽいかもしれないが「私はガキです」と言っているのと同じ。
そうやって、大人ゴッコ社会を生きてきたガキはある意味エライ。
そういうガキ、小学生のころにいたなぁ~。

  判断に良否なし。

右か左か判断に迷うことがある。
身悶えするくらい思い悩んだりする。
でも真剣に迷うくらいなんだから、どっちに判断しても大丈夫だったりする。
判断した方を良くするも悪くするも自分しだいですし。

人工骨のCG

某人工骨メーカーの、医療系展示会でお披露目するCG動画を制作したときのこと。
初めて見るセラミック製の人工骨は粒状のもので、骨粗鬆症や圧迫骨折のときに詰め込むのだと聞かされて驚いた。手術方法について骨の模型を使って説明を受け、CG動画を作成。
一つ目のCGのイメージは、人工骨の使われ方イメージ。
圧迫骨折した患部をいくつかの角度から観察した後、映画のミクロ決死隊のように、骨の中に入っていって人口骨をグイグイ詰め込んでいって、修復してゆくシーンを作成。
二つ目のCGのイメージは、圧迫骨折事故~修復のイメージ。
立位から尻餅をついて腰骨の圧迫骨折を起し、人工骨で修復してゆくシーン。
三つ目のCGのイメージは、頭蓋骨骨折事故~修復のイメージ。
ボールが額に当って頭蓋骨が割れて、そこに人工骨のプレートをはめ込んで修復するシーン。悲しい顔から喜ぶ顔への変化も加えてみた。
慣れてくると、徐々に演出したくなる。職業病ですね。
その後もいくつかのCGを作成しましたが、印象に残ったのは術式のCGです。
首の後ろの筋肉から徐々に中に入っていって、一番内側の筋肉で前後に動かすものでしたが、筋肉が複層しているのに時間がかかりました。あと術式には、先生の名前がついて○○式と呼ばれるんですねー。
【後日談】
これら一連の仕事の後、あろうことか自分が交通事故に遭い頭蓋骨骨折をしました。ちょうどその時、このCGを作成した会社が売り込みにきていて、作成したCGと同じものを自分の頭に入れることに…手術の立会いまで行っていただきました…ご縁ですかねー?

トップだけ儲かるゲーム。

ここのところ頻繁に合併、買収などといった言葉を耳にする。
企業が手っ取り早く大きくなってゆくには欠かせない。
ただ、大きくなればなるほど利益追求が厳しくなる。
内容や品質よりも利益。
マネーゲームだな。
トップだけ儲かる。
兵隊は兵隊。

本を面白くするのは読者の想像性。

昨年の芥川賞から、本の話題に事欠かない。
受賞作はじめ、映画やテレビの原作としても話題に上ることが多いような気がする。
「面白い本」と、そうでない本の差はナンだろう?
もちろん作者の力量による差はある。
でも読み手の力量による差もある。
作者の意図のまま、読者が読んでくれることもある。
作者の意図を超えて読者が読んでしまうこともある。
しょせんは出会いなんだろうけど。
本になってから以降は読者の想像性に全面的に委ねられるんだろうな。