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好かれる謝り方

先週の本番前日の夕方19:00に、スタッフ-Aから「明日は勉強させていただきたいので、お邪魔してもよろしいでしょうか?」と電話があった。OKすると「ありがとうございます!よろしくお願いします」と好青年風な受け答えに満足していた。
翌朝08:00に突如、予定外の上役が登場。
社内の調整が上手くゆかず、現場で働けなくなってしまったとのこと。
スタッフ-Aは登場せず。
スタッフ-Aからの連絡ナシ。
前日の言葉が本当なら、スタッフ-Aは当日08:00前に来て事情説明と謝罪をする。
続いて、上役に代わってもらう旨を伝え、引き合わせるのが当たり前だと思う。
嫌われないように、できれば好かれるように、注意深く、できることは全部ヤルのが普通だと思う。
こちらが言い返せない上役をポンと送ってコトをねじ伏せ、知らんぷりを決め込む。
どこの王子様だよ!? 上から目線すぎないか? 所属する組織の力自慢か?
今日で一週間。
スタッフ-Aは登場せず。
スタッフ-Aからの連絡ナシ。
でも、ボクは優しいからスタッフ-Aに勉強させてあげよう。イロンナ意味で…。

バカなフリはバカなのか。

わかり難いことをわかり易く表現するのが私たちの仕事です。
シンプルに二項対立で見せるとスッと理解させられる。
もちろん二項の間には無限のグラデーションがあるのは知っている。
正論だと思う。
でも、商売となるとそうはいかないんだよなぁ~。

当たり前といえば…でもスゴイ!

農業機械大手のクボタが米の輸出トップになった。
専門の米卸問屋の神明を上回る。
減反や米離れを嘆いているのではなく
水から販路を開拓して海外に売込んでいる。
農機を買ってくださる農家が儲からなければ
農機は売れないのだから当然ではあるけれど
ココまでやれる企業には頭が下がる。

イベントには合理的配慮が不可欠。

合理的配慮とは、障害のある人が日常生活や社会生活を送る上で妨げとなる社会的障壁を取り除くために、状況に応じて行われる配慮です。
イベントでよく使われるコメントがある。
例えば
わかった人は手を挙げてー。
キャラクターを大きな声で呼んでみよー。
黙って読んでください。
真っ直ぐ立って並んでくださーい。
ヒドイ。配慮に欠けている。
セクハラなみにマズイ。
これからは必ず事前チェックしないと大事になる。

鳴き声の続き

そうなると「ゆるキャラ」はどうか?と思ってしまう。
残念ながら、これは日本独特のものらしい。
ローカライゼーション会社のマット・アルト氏いわく「八百万の神」が、「ゆるキャラ」のもとになっているのだと。
そうか、妖怪だ!
傘も布も、壁まで妖怪にしてしまうのだから。
ナシのゆるキャラから、漢字のゆるキャラ(岡崎のオカザえもん)まで八百万にもほどがあるくらいの拡大解釈なのだ。
ちなみに、妖怪は笑い飛ばすために生み出されたという説もある。
怨念や呪いのようなマジで怖いことを妖怪にキャラ化して、怖くないようにする。
確かに、鹿の角が生えたお坊さんとか本当の意味は知りたくない。
シリアスすぎる…。

問題がオモシロイ

ココがマズイ!と、ハッキリわかっていることは「課題」と言って対処できます。
よくわからないけど漠然と存在する疑問は「問題」と言って対処できません。
危険は「課題」ですから対処できます。
不安は「問題」ですから対処できません。
課題と問題。
二つの言葉を、特に区分して対応したい今日この頃です。

男向けCMおおすぎ。

最近の自動車の広告に男向けのものが多い感じがする。
シャープでシンプルでフォルムが洗練されていて…。
そんなに男向けに振って大丈夫んんだろうか?
古の、ハンドルは「男が握る時代」でもあるまいし。
広告屋さんの時代錯誤なのか?クライアントの勘違いなのか??

最近の古典落語。

最近またぞろ「自分探し」を口にする人が増えてきたような気がする。
平和で豊かだからか…。
もともと自分は存在していないのに、探しても見つかるわきゃない。
古典落語のネタにあったかなぁ?
そっちが知りたい。

動物の言葉

そういえば何となく、ずーっと、不思議に感じていていたことがある。
意味が理解できない外国語の歌でも心に沁みる歌があるのだ。
意味がまったく分からないのに。
見当違いの解釈に決まっているのに。
ある。
PVを観たわけでもないのに、ジーンとしてしまったり、元気が出たりする。
どうやら歌声は動物の「鳴き声」のようなものらしい。
「鳴き声」によって、モテたり、好きになったりする。
言語学者の金田一秀穂氏によると「動物の本能的な仕業」なのだと。
生理的にどうか?といった類の、言葉にならない理由なのだと言語学者が語る。
そういえば、LINEのスタンプも言葉の壁が無いような感じがする。
人間という動物が共有する、表情・しぐさ・感情などは「鳴き声」のようなものかもしれない。

小せえなぁ自分。

とあるALS患者さんへのインタビューを視た。
彼は、目でキーボードを操作しながら語る。
「私はALSで身体の自由を奪われてしまったけれど、心は自由です。
思い浮かべるだけで、世界中のどこへでも行ける。誰とでも仲良くできる。身体が動かないことくらいどうってことありません。」
どうってことない、って…。
できない理由を並べたり、クヨクヨを引きずったり、小さなことで怒ったりすることが恥ずかしくなる。