好きなように生きるのが幸せなんですね。

Youtubeで車イスにヘルメット姿の外国人が
スキーのジャンプ台のような急坂をジャンプして一回転する動画を視た。
くり返しジャンプしては着地に失敗する。
受け身が取れないせいで酷い転び方をして、うめき声をあげる。
でもまた頂上に上がって笑顔で再チャレンジする。
動画では最後まで失敗していた。
「障害者だから…」という感じは受けなかった。
ただ楽しんでいた。
ナニも語られてはいなかったけど「自分の命なんだから
好きに生きればいいじゃん」という印象だ。
そう自分の人生なんだから
好きなようにチャレンジして目一杯楽しめばイイんだよ。

悪くない作品の選び方

映画も小説も、シマッタ!やっちゃった!というハズレな作品に出くわすことがある。
有料なだけに痛い悔しい・・・それはそれなりに楽しめたりするんだけど・・・最後までたどり着けないこともある。
もちろん、当り!掘り出し物!という作品に出会えることもある。
ハズレを避けるならシリーズものが安全ではある。
シリーズ化されてゆく映画や小説は大衆が支持しているから悪くはない。
でも大衆向けなんだなぁーーーヒマつぶし用か。

目に映るモノも、解釈しだいで大きくかわる。

運慶は
「彫っているのではなく、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」
と言ったそうです。
バランスをとりながらとか、強弱をつけてとか
ムリにこうしよう、ああしようではなく
あるがままに、ごく当たり前に行うこと。
ナカナカムツカシイけれど、本質的なことだな。

試されるということ。

プレゼンする側はプレゼンの出来を試されている。
受けてジャッジする側も試されている。
好みのモンダイはあるにせよ、能力を問われるのは同じですね。
心してジャッジしなければ…。

おぼろ月夜のプランは魅力的か。

おもしろいプランができた!と、提案すると必ずといっていいほど
支持と拒絶を受ける。
瑕疵の少ない輪郭のボンヤリしたプランは、それほど魅力的なのだろうか?
変化を期待しないのだろうか?
現状維持は成長や躍進をもたらすとは思えないのは私だけか。

日常の中のチャンス

新聞に「英語の話せる薬剤師」のコラムが載っていた。
なるほど、これだけ外国人が増えれば自ずと必要になる。
身体や体調に関わることはなおのこと。
特に専門性の高い分野の英語を履修すれば活躍の場が広がる。
ごく日常的な風景の中にもチャンスはたくさんある。

のっぺり、ってカッコ悪い。

最近、道を走っている車が新しい気がする。
凹凸の少ないプラスチック風の、のっぺりしたデザインばかり。
そんな中タマに、やたらとデコラティブな車が通る。
間違いなく古い車。
ゴテゴテとムダなモノばかりくっ付けて走っているけど、カッコいい。
機能と効率もイイけど、のっぺりじゃ楽しくないと思うんだけどなぁ。

折合い

最近「折合いをつける」という言葉づかいに、若干の温度差を感じることがある。
「折合い」、は日本語の辞書によると「妥協」とある。
議題について双方が手控えるとか、ゆずり合うといった意味。
議題と双方の関係性に限定されている感じがする。
英語の辞書では「仲良く、友好関係」とある。
議題以外のことも含めて、決着をつけるといった意味。
双方を取り囲む、まわりの一切を関係づけている感じがする。
似ているようで異なる。
良し悪しではない。
文化の違いか?
限定的に専門性を高めてアプローチするか、多面的なところからアプローチするか。
どっちもアリ。
職種や仕事の内容によりますが…。

売れる文脈

旨い日本酒は、高く売れる。
なんて聞き心地の良い言葉でしょうー。
昔の職人さんみたいで、カッコイイ!
でも現実には、旨いか不味いかは、好みですから、そんなことだけで売れたりしません。
高く売れるか否かは、文脈が左右するのです。
旨いかどうかは、二の次です。
飲む前に買ってもらうのですから、当たり前です。
日本酒を高く売るには文脈次第です。
例えば「皇居で栽培された米で作った日本酒」。
相当高額でも、かなりの量が即完売です。
「酒の入ったカメを土中に埋めて戦災を免れた古酒」
「伊勢神宮の米で作った日本酒」
コレらも、即完売です。
旨いかどうかといった次元ではない。
一部のヒトによっては入手すべき使命感すら生まれかねない。
コトほど左様に、モノの価値を評価するとき「モノ自体の評価」と「文脈の評価」の二つがある。
多くの場合、この二つの評価をゴチャ混ぜにして不毛な議論に発展したりする。
まぁ、好みを言い争う子供の口ゲンカですね。
恐らく、ちょっと冷静になれば区分して評価できる。
そういえば、このところニセ作曲家が云々と騒がしいけど、所詮は子供の口ゲンカ。
大のオトナが、騒ぎすぎですね…。

アンケートは新興宗教?

新商品の開発、新サービスの提供…顧客にウケるためにアンケートをとりましょう!
という手法はダメだと思う。
最近ダメになったのではなく、端からダメな手法だと思う。
声なき声こそが本当の声。
コチラが「アンケートは意味ないですよ」とでも言おうものなら、逆ギレされる。
薄々にも怪しいと感じていないのだろうか。
あんなに妄信的に信じているのは新興宗教なのか?